ツイッターを見ていた方はご存知かもしれませんが、25日(よりによって25日)父が倒れました。
職場で何の前触れもなく突如倒れ、連絡を受け病院へ向かった頃には、もう意識はありませんでした。
蘇生はしましたが、一時間心臓が止まっていたため、脳にも内臓にもダメージが大きく、意識を取り戻すことは難しいだろうと、その日の内にお医者様から伺いました。
それから11日間、自発呼吸を取り戻したり、血圧が上がったり、下がったり、喉を切開して管を入れたり、人工呼吸に戻ったり、忙しなく落ち着き無く、父は何とか生き永らえ、そして5日、逝ってしまいました。
私は25日の朝、徹夜していたために普段見送ることが出来ない早朝出勤の父を見送ることが出来ていて、
特に喧嘩もなく、至って仲が良く、「28日が休みだから原稿頑張ろうな!」と話しているほどで。
それだけは本当に、本当に良かった。顔が見れて、仲の良いまま、それが最後になってくれて。
今も、24日のことを事細かに思い出すことが出来ます。
稲荷神社に取材に行って、セブンで朝ごはんを買って帰って、夕方にファミマに行ってエクレアを買って、夕飯に家族三人でパスタを食べて、父に漫画を手伝って貰って、父は寝る前に漫画を読んでいて。
朝も何も変わらず「じゃー行ってくるねー」と私の部屋に顔を出して。
ああ駄目だ。やっぱり実際に文に起こしていると涙が出てくる。ごめんなさい。文面ひどい。
父とは、血は繋がっていません。
親子になれるまでに、一悶着ありました。私は「父親」というものが信用なりませんでした。
それでも父は、じっと待っていてくれました。だから、信じることが出来ました。
そんな父のために漫画を描きました。それが、判らないものでYJで初受賞。16歳のときです。
私は血の繋がりなんて、犬に食わせろくらいに思っています。
だって父と私は本当の親子以上に親子になれたのだから。
父と過ごしたのは、10年弱。新居に越してからは4年もたっていないのでしょうか。
父は私にとって、父親であり、一番の友人であり、最高のアシスタントでした。
これからもっと色んなところに行きたかったし連れて行きたかった。
色んなものが見たかったし見せたかった。
早い。早すぎるよ。
作りすぎた夕飯が朝まで残っていること
買い置きのコーンスープがなかなか減らないこと
面白い動画を見つけたとき一人でブックマークするしか出来ないこと
Requiemの全貌を知るのが私だけになってしまったこと
もうステップワゴンで遠出をすることがなくなること
あの大きな背中に抱きつくことが出来ないこと
あの暖かい手を握ることが出来ないこと
不思議なきっかけで切なさに襲われる私は、
少しずつ「居ない」ことを理解して、
それを糧に、父が好きだった私の漫画を描き続けていくのだと思う。
ありがとう。おつかれ。
そしてさよなら。