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言解きの魔法使い5巻29話(寳田八朔回)に関する話です。
以前かべうちに投稿していたものを移動してきました。
記事の続きから読めます。




ふと思い立ったので、構成の都合上詳細を省いた「人を介する限り物の純粋さは失われる」話をしたいと思います。
これ、「え~?」みたいな反応もあったと思うし、こういったものを専門的に学んでいる方は「全然違うわ」と仰ることかもしれないんですが、私の考えは以下になるんですね。

例えば、ここにサッカーボールがあるとする。
サッカーというスポーツの知識があるものは、「これはサッカーボールだ」と認識する。
サッカーというスポーツを知らないものは「これはボールだ」と認識する。
ボールというものを知らないものは「これは丸い物体だ」と認識する。
また、サッカーボールを作った経験のあるものは「これは六角形の布を何枚繋ぎ合わせて…」とより詳細な認識を伴い「サッカーボール」を認識するだろう。
そして、文明社会において、「知識」とは「言葉」で共有されるものであり、「言葉」によって「知識」は「知識」として認識され、「理解」される。
また、共通の文化を持つものの間では共通の言語が使われており、それは時に文化圏特有の性質も持つ。
「サッカーボール」という物体は何一つ変化していないが、「サッカーボールを理解する人間」によって「物体的に何一つ変化していないサッカーボール」は人の脳の中、「認識の中」で確実に「変化する」のだ。
つまり、人が物を観測し理解するとき、「自分のいる文化圏で育まれた言語によりその物体を認識する」ため、「物体そのものの情報が時に失われる(或いは濁る)」。

と、私は考えている訳ですね。もっと分かりやすく言うと「ブランド」が最たる例のように思います。
人の価値観、知識、認識によって成り立っている「ブランド」という形のない「知識」が、物体の価値をどこまでも変化させるのです。それはイコール「物の純粋さが失われる」ことだと思っている訳です。
勿論、ブランドをブランドたらしめる品質の良さというものはありますが、例えば鞄を例にとっても、ブランドを知らない者にとってブランド品とそうでない品の価値はただ「鞄」という一点の価値だけに集約されるのです。


専門的な知識がないのでなんともなのですが、この辺りの話は心理学や民俗学に関する話なんですかね…?もしくは哲学…?勝手に考えてるだけなのでまあふわっと読んで下さい。

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